人が未来に向かうとき、いつの時代も会計は重要なファクターです。
日本公認会計士協会東京会は
坂本龍馬の言葉で「会計の大切さ」を伝えています。
日本公認会計士協会東京会は、2015年2月より坂本龍馬の言葉で「会計の大切さ」を伝えるPRを開始しました。龍馬の言葉は、「これより天下のことを知る時は、会計もっとも大事なり」。
メトロ有楽町線市ヶ谷駅、羽田空港、東京駅にて看板掲出を行っています。
●龍馬と会計
自由人で時代の風雲児と言われた龍馬と「会計」は、まったくかけ離れたイメージです。龍馬が「会計もっとも大事なり」と語ったのは本当か? と疑いたくなりますが、坂本龍馬は日本で最初の株式会社と言われる「亀山社中」を結成した人物。海外との貿易などビジネス感覚を持ち合わせた一面を考えると真実味を帯びてきます。
●キャッチと本文の出典
キャッチの出典は、坂本龍馬と親しかった土佐藩士、佐佐木高行が残した日記などから編纂された資料『保古飛呂比 佐佐木高行日記 二』、本文の出典は、今年4月にNHKの取材時に発見された龍馬が後藤象二郎に書いたとみられる手紙の草稿です。
『保古飛呂比 佐佐木高行日記 二』によると、慶應三年八月頃、才谷梅太郎(龍馬の変名)はしばしば佐佐木高行を訪れ議論をしていました。慶應三年八月二十八日にはこのように書かれています。
「(才谷)又曰ク、是ヨリ天下ノ事ヲ知ル時ハ、会計尤モ大事也、幸ニ越前藩光岡八郎ハ会計ニ長ジ候間、兼テ咄号モ致置候事有之候、其御含ニテ、同人ヲ速ニ御採用肝要ト申シタリ」
越前藩光岡八郎とは、三岡八郎(維新後は由利公正)。窮乏していた福井藩の財政を再建した三岡の手腕を龍馬は評価し、「会計はとても大事だ、三岡は会計に長じている」と佐佐木に語っていたのです。
慶應三年十月、大政奉還が行われると、そのわずか10日後、龍馬は福井に向かいます。龍馬の使命は土佐藩・山内容堂の手紙を福井藩・松平春嶽に手渡すことでしたが、もう一つの目的は三岡八郎に会うことでした。このとき2人は新政府の財政のありかたについて語り合います。この経緯が書かれた龍馬の手紙の草稿が、2014年4月にNHKの取材時に発見され、大変話題になりました。手紙は土佐藩、重臣、後藤象二郎宛で、このようにつづられています。
「三八(三岡八郎のこと)が言うには、将軍家が真に反省すれば、どうして早く形を以て天下に示さないのだろうか。近年来幕府は失策ばかりで、その上言葉で言うだけでは、天下の人が皆信じないだろう云々。 これより国で用いる金銭の事を論じました。かつて春嶽侯が総裁職だった時、三八自ら幕府勘定局の帳面を調べたところ、幕府の金の内情は、ただ銀座局ばかり(本来、金座・銅座・銭座などがあるが機能していないという意味か)で、気の毒がっていました。お聞き置きください。総じて金銀物産等の事を論ずるには、この三八を置いて他に人はいません」
こうして龍馬は三岡を後藤象二郎に推薦し、三岡は新政府の財政を担当していくこととなるのです。
●一人ひとりの未来のために会計の考え方を
日本公認会計士協会東京会では、国の基本方針を示した船中八策だけでなく、財政担当のスカウトにも奔走した龍馬の言動を借り、「会計もっとも大事なり」を多くの方に伝えていきたいと考えています。国の財政を考えるとき、事業を展開するとき、また家庭においても会計が大事であることは普遍的な事実です。しかし会計の大切さは、日本ではあまり重視されていません。東京会では国民一人ひとりがしっかりと未来に向かっていけるよう、会計の考え方を身につける大切さをPRしていきます。
※東京大学資料編纂所著『保古飛呂比 佐佐木高行日記』について
『保古飛呂比』は、佐佐木高行の伝記資料。本書は、高行が晩年、手許に存する日記・書簡・政務記録等の書類をもとに、丸橋金次郎に嘱して編纂せしめたものである。原本は焼失あるいは伝存状況不明であり、東京大学資料編纂所が引継いだ本書の写本六三冊、明治十六年までのものが、研究者の利用に供せられている。『保古飛呂比』は、この史料編纂所本を底本としている。巻十、文久三年までがおさめられている。
(以上、日本公認会計士協会東京会HPより)